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水野南北 著 「修身実験録 一名・出世の直道」を読む その39 修身実験録&意訳(跋)(終)

修身実験録跋(ばつ)

 

先輩の曰く國の財用は、土地と民力との二つを根本として生ずるものなり。この外さらに出所なし。故に一國の財用は、土地の大小民力の多少によりてその程限あり。この故に入るを量りて出づるを制するは、経済の定法なり。此のほか更に財用の操り廻し方なしと。看よ金鑛銀鑛のごときも随ひて生ずるものにあらず。幾千萬年の間地中に欝蒸(うつぞう)せる國土の精英が結ばれて金銀と化し来りて以て世の財用となることを。されば國土の金銀を生ずるは猶人躰の精を生ずるが如し。若し人精を愛(をし)みて濫(みだり)に洩さず。つねに丹田に蓄ふるときは、その人壽にして且(かつ)康し。國土の如きも金鑛銀鑛を愛(をし)みて濫に掘らず。秘して地中に蔵するときは、その国榮えて且(かつ)久し。わが國の古俗、某の金山は某の神これを惜み給ひ、彼の銀山は彼の佛これを愛し給ふと言ひ傳へて濫に掘ることを許さざりき。是れおのづから國力を養ひ民力を愛する道にして、即ち國家の長久なる所以なり。西洋の俗は則ち然らず。苟(いやしく)も財貨の在る所は人力を盡くして之を穿ち、苟も遺利の存する所は地力を究めて之を取り、自國すでに盡くれば、他國を侵略してまた取り盡くし、叨(みだり)に収めて自國の財貨となし、みづから誇りて文明開化と称す。是れなほ人の薬餌を服して精血を仕立て、みだりに精を洩らし情を恣ままにして、人生の快楽これにありと呼ばはるるものの如し。これ豊國家長久の道ならんや。余かつて謂へらく東洋の文明は、徳川家康の如く、西洋の文明は豊臣秀吉に似たりと。秀吉公の桃山城を築くや、奢侈を究め華美を盡し、黄金を瓦に塗りて、金碧遠く輝き、遂に宇治小椋の湖水に鱗介を生ぜざるに至る。その榮耀想ふべしといへども、是れ國家長久の道にあらざるなり。宜なるかなその二世にして亡ぶること。家康公は則ち然らず。天下を嗣子に譲りて駿府に退隠せらるるの日、一夜の晩餐に小姓の美袴を着して給仕するを見て、その袴は何といふものぞと問ひ給ひしに、小姓が是れは茶宇(ちゃう)にて候と答へけるを聞て、箸を置て歎して曰く、天下昨今やや静まるに、汝が輩巳(すで)にかくの如きの袴を着す。徳川の天下覚束なし。今は食に味なし。疾(と)く持ち去れよ。とて膳を突き出たされしといふ。その節倹想ふべし。是れこそ國家長久の基なれ。宜(むべ)なるかな十四世の末に於ても、なほ貴族の第一流を占めて永く乃祖(ないそ・だいそ)の福徳に飽かるること。余つらつらこの修身実験録を閲するに、財用を昭々の間に愛(を)しみ、福徳を冥々の中に積みて、常に恒に天を畏れ人を敬ひ、己を慎み物を憐むを以て主義とす。是れ即ち家康公の流義にして、直に是れ東洋文明の種子なり。故に此の法を以て國を治むるときは、國久しくして民安らかに。この法を以て家を克(よ)くする時は、家給して人足り。この法を以て身を修むるときは、身健かにして壽長し。何ぞや聖人の遺旨なればなり。今や西洋の風習大いにわが國に尚(たふと)ばれて、聖人の遺旨終に廃れ、彼の天を畏れ人を敬ふものを卑屈と貶し、己を慎み物を憐むものを固陋と賤しめ、却て奢侈を極め華美を盡くすを文明と稱し開花と誇る。是れ即ち秀吉公の流義にして、直に是れ西洋文明の眞似なり。然りといへども天の物を生ずるは、人の欲望によりてその功を逍(すみや)かにせず。地の財を産するも、時の需用によりてその量を増さず。先輩の謂ゆる外に出所なきがゆゑに、國力は年々に委縮し、民力は月々に疲弊して未だその底止する所を知らず。是れ實にわが國家の大病なり。此の大病を救ふに、豈(あに)それ他術あらんや。唯此の家康流義の一法あるのみ。これ余がこの書を請ひ受けて、世に行ひ人に勧むる所以なり。明治壬辰(ジンシン・みずのえたつ)の夏六月、東京本郷駒籠なる浅香書楼の紅塵到らざる處に識(しる)す。

                      山陰道士  川 合 清 丸

 

 

(意訳)

修身実験録 あとがき

 

先輩がいうには、「国家の財政は、土地と国民の生産力の二つから生ずるのであり、 この外からは生じない。ゆえに、一国の財政は土地の多少、国民の生産力の多少によって限度がある。したがって、収入を図って支出を抑制するのが、経済政策の定法である。この外には一切財政の繰り回し方はない。」