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水野南北 著 「修身実験録 一名・出世の直道」を読む その3 修身実験録&意訳

但し左に著すところは常に身をおほくつかはぬ人に就いていふなり身を多くつかふ人は、その労働に応じて食の多少もあり。その体の大小強弱によりて量の分限もあるべし。されども若年にていまだ家を治めざる人は食を論ぜず。若年なれどもすでに家を治むるものはことごとく食の多少によりて吉凶あり。

 

古人も天は無禄の人を生ぜずといひて、貴賤ともおのおの分限に応じて天よりあたふるところの食物は其の極あり。これを遠慮なく食ひ費すものは、すなはち天よりあたふる目録の中を我儘に食ひつぶすものなり。これを遠慮して控へ慎むものは、すなはち天よりあたふる目録の中を、恐れ貯へて天に預け置くものなり。天に預け置きて命数すでに尽くるものは、預け置きたる福禄を直に子孫へ遺すなり。天よりあたふる目録を容赦なく食ひつぶすものは食ひ尽くす時に命数もまた尽く。是れ命は食にありといふ所以なり。食分限より少きものの相応の福分ありて短命なきは、天を恐れ敬ふがゆゑに、天の寵(めぐ)みをうくるなり。食分限より多きものの、生涯心労たえざるは、天を恐れ慎まざるがゆゑに、天の悪みをうくるなり。此の道理を以て人の最も慎むべきは食にて、最も恐るべきもまた食なることを確知すべし。

 

 

<意訳>

ただし、このことは常に肉体労働をしない人について述べており、肉体労働を多くする人は、その労働に応じて食の多少があり、その体の大小強弱によって量の限度があるべきである。

また、しかしながら、若くて未だ家を治めていない人は食の多少を考慮しなくてよく、若くてもすでに家を治めている者は、ことごとく、食の多少による吉凶がある。

 

昔の人も、「天は無禄の人を生ぜず」と言って、貴賤ともに各々の分限に応じて、天より禄が与えられる。

その極みが食物であり、これを遠慮なく食いつぶす者は、つまり、天から与えられた目録の中の天禄を我儘に食いつぶす者である。

これを遠慮して控え慎む者は、つまり、天から与えられた禄目録を、恐れかしこみ貯蓄して天に預けておく者である。

天に預け置いて、命数すでに尽きた者は、預け置いた福禄をじかに子孫へ遺すこととなる。

天よりあたえられた目録を容赦なく食ひつぶす者は、食ひ尽くした時に命数もまた尽きる。これが、「命は食にある」という理由である。

食が分限より少ない者が、相応の福分があって短命ではないのは、天を恐れ敬っているので、天からの恵みを受けるからである。

食が分限より多い者が、生涯にわたって心労が絶えないのは、天を恐れ慎しまないので、天からの憎みを受けるからである。

この道理ゆえに、人が最も慎むべき事は食であり、最も恐るべき事もまた食であることを、しっかりと知っておくべきである。